ある仮決定〜『特別支援教育』が問われている(2)

ある仮決定〜『特別支援教育』が問われている - 特殊学級から養護学校、そして特別支援学校で採り上げた件に新たな動きが。
下市町側は即時抗告する一方、女子生徒の下市中学校への入学を認めました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090702-00000117-san-soci(→ウェブ魚拓)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090702-OYO1T00626.htm?from=main1(→ウェブ魚拓)
http://www.asahi.com/national/update/0702/OSK200907020072.html(→ウェブ魚拓)
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070201000597.html(→ウェブ魚拓)

まだまだ情報が乏しいので、今回はコメントを留保。引き続き情報収集に努めようと思います。

また、仮決定に関するやや詳しい情報も。

決定で、一谷好文裁判長は「下市中の普通学級で他の生徒と授業を受け、学校生活を送ることで、障害を克服し、心身ともに成長するための時間が刻々と失われている」と言及した。父正昭さん(51)は「決定に感謝している。普通に、当たり前の状況で、学校生活を送れたらいいと思う」と話した。http://mainichi.jp/area/nara/news/20090627ddlk29040672000c.html(→ウェブ魚拓)

裁判長が「普通学級での生活が障害の克服に結びつく」述べた根拠、そして父親が言った「当たり前の状況」とは何なのか知りたいです。この2人がイメージしている『明花さんの中学校生活』とは具体的にどういうものなのか、周りの人からどんな支援をどのくらい受けるのが“当たり前”なのか、そこがポイントのように感じます。


ところで、知事が「財政的に支援できることは検討したい」と発言。財政援助はしないと県教委が表明していることを知らなかったようですが。

http://mainichi.jp/area/nara/news/20090702ddlk29040657000c.html(→ウェブ魚拓)

ただ、今回の件は結局「町には金がないので中学校の環境整備ができませんから、特別支援学校へ行ってください」という話だったはず。環境整備に十分な金さえあれば問題は根本から解決です。この荒井知事の発言が実現されるかに注目です。

ある仮決定〜『特別支援教育』が問われている

 奈良県下市町立中学校への入学を希望していた身体に障害を持つ谷口明花さん(12)=同町=と両親が、町教育委員会を相手に、入学を認めるよう求めた訴訟で、奈良地裁(一谷好文裁判長)は26日、同校への入学を義務付ける仮決定を出した。代理人弁護士によると、中学校入学での仮決定は珍しいという。
 決定によると、校舎には手すり付きトイレが設置されているなど、設備などに不都合はないと指摘。「中学校教育の期間はわずか3年間しかないのに、提訴してから既に3カ月近くが経過しており、緊急の必要性がある」と、同日からの女子生徒の入学を認めた。
 訴状などによると、明花さんは両足と右腕が不自由で、3月に町立小学校を卒業。下市中への進学を希望したが、同校は施設未整備などを理由に、入学通知を出さず、特別支援学校への進学を要請していた。
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%bd%f7%bb%d2%c0%b8%c5%cc%a4%ce%c3%e6%b3%d8%c6%fe%b3%d8%cc%bf%a4%b8%a4%eb&k=200906/2009062600466

 奈良県下市町の町立下市中への進学を希望したのに、設備の不備などを理由に町教委が進学を認めなかったとして、車椅子生活を送る谷口明花さん(12)=同町在住=が入学を求めて起こした訴訟で、奈良地裁(一谷好文裁判長)は26日、町教委に対し、同校への入学を義務付ける仮決定を出した。谷口さん側の弁護士によると、中学入学を巡る仮決定は異例という。正式な入学を求めた訴訟は続いており、判決までの措置となる。

 一谷裁判長は「町教委の判断は著しく妥当性を欠き、特別支援教育の理念を没却する」と述べた。

 地裁の決定などによると、谷口さんは脳性まひのため、両足と右腕が不自由。手押しの車椅子で日常生活をしているが、字を書いたり、会話することに支障はなく、今年3月まで介助員2人の付き添いを受けて地元の小学校に通っていた。

 同級生と一緒に町立下市中へ進学することを希望したが、町教委は「成長期で体重が増えるため、階段が多い下市中では、本人と介助員の命の保障ができない」などと入学を認めなかった。

 谷口さんと両親は今年4月、同中学への進学を求めて奈良地裁に提訴し、判決が出るまでの間、仮通学ができるよう求めていた。谷口さん宅へは県立明日香養護学校(同県明日香村)の教員が訪問して学習指導している。

 地裁は現地調査をして障害の程度や同中学の設備などを検討。「移動介助が著しく困難とは考えられず、現状でも就学は可能。バリアフリー化には国庫補助もあり、可能な範囲でスロープを設置するなど工夫を試みる余地はある」と判断した。

 下市町の堀光博教育長は「内容を精査したうえで対応を検討していきたい」と話した。【高瀬浩平】
http://mainichi.jp/kansai/news/20090626k0000e040090000c.html

この件は4月に提訴されたときに気付いていて、成り行きを見守っていたのですが、思わぬ仮決定*1が出て、少々驚いています。

私が驚いた点は2つ。

1つは、『設備などに不都合はない』『バリアフリー化には国庫補助もあり、可能な範囲でスロープを設置するなど工夫を試みる余地はある』とした点。下市町教委が谷口さんに明日香養護*2への進学を勧めた最大の理由を、一刀両断、完全否定しているのです。
下市中学校付近の地図(国土地理院)から推測するに、相当な傾斜地に建っている学校であることが分かります。また、下市町の財政は逼迫しており、エレベーター・スロープ等必要な施設改修を行うことは困難だと町教委は主張していました。
裁判所の指摘通りに現状の設備に不都合はなく、国庫補助を受けて施設改修が可能であるならば、町教委は怠慢のそしりを免れません。一方で町教委の主張通りに谷口さんの移動を安全に介助するには施設改修が不可欠で、そのための財政支援が望めない状況なら*3、現実から乖離した不当な決定と言わざるを得ません。
現段階で私が入手できる情報だけでは判断がつきかねるため、今後の県・国の対応、判決を待ちたいと思います。

もう1つは『町教委の判断は著しく妥当性を欠き、特別支援教育の理念を没却する』とした点。すなわち「特別支援教育」の理念の解釈です。
仮決定の全文が入手できないため、何をもって『特別支援教育の理念を没却する』と断じたのか分かりません。分かりませんが、それこそが最も重要なポイントであるように思えてなりません。
「中学校への入学を認めない」ことが『特別支援教育の理念を没却する』というのであれば、肢体不自由特別支援学校の存在意義を否定することになります。また、「本人・保護者の“希望”通りの進学を認めない」ことが『特別支援教育の理念を没却する』というのであれば、教育行政の権限を極めて狭めるものになります。
特別支援教育』は、障害のある全ての子どもたちが生涯を通じて一貫した適切な指導・支援を受けられる体制を目指すものであって、“全ての子どもたちを小中学校で教育する”という狭義のインテグレーション(統合教育)とは異なるものです。加えて、現実的な教育的効果や効率の視点から、支援の必要度が大きい子どもに対応するために特別支援学級・特別支援学校が集約的に設置されているのです。*4

特別支援教育」の理念が正しく理解されているか、「特別支援教育」を実践する現場の実情がきちんと把握されているか。この裁判を引き続き注目して行こうと思います。

*1:判決ではない点に注意が必要

*2:奈良県では、まだ正式校名が「養護学校」のままです。

*3:ちなみに、奈良県教委は「例外は作れない」と、財政援助をしない姿勢を明確に示しています。→http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20090613kk04.htm

*4:例えて言うと、定員2名の特別支援学校を50校作るよりも、定員100名の特別支援学校を1校作って運営するほうが小さな財政的負担で、効率的・効果的に教育できる…という理屈です。

コーディネーターの“日常”を書こうとすると…

特別支援教育コーディネーターになって7週間。結構いろいろとお仕事をさせてもらっています。
ただ、具体的にどんな仕事をしているのか、いざ書こうとするとすごく難しいのです。例えば…

教育相談で来校された保護者に、LDの診断ができるドクターを紹介しました。

…という表現が精一杯。これ以上具体的に書こうとすると、保護者や私の勤務校が特定されてしまうような情報*1を書かざるを得なくなるのです。



それはマズい。
個人情報や「守秘義務」に関わるような事柄を不用意に書き込んでしまった失敗を繰り返すわけには行かないので。


リアルタイムでその日の仕事を書き連ねていけば、「コーディネーターって、この時期にそんな仕事をしているんだ…」と、参考になるエントリになるのにな…と思いつつ、そうそう書けない自分の立場に悶々としているのです。

*1:「今日は開校記念日」ってエントリでさえ、その気になって調べれば、ほぼ学校を特定できてしまいます。

母が「振り込め詐欺(未遂)」にあいました…

昼休み、職員室で資料整理をしていたら携帯がなりました。見慣れぬ固定電話の番号…1度目は無視しましたが、すぐににまたかかってきたので不審に思いつつ出てみると…
○○氏「“五つの霞”さんですか?」
霞「あ、はい…」
○○氏「私、□□県警△△署の○○と申します。」
霞「あ、はい?」
○○氏「今、お母様が銀行で多額の現金を振り込みなさろうとしてまして。」
霞「…はい!?」


「世の中には簡単に騙されちゃう人が多いんだね」などと嘲笑していた振り込め詐欺でしたが、“うちの話”になっちゃいました。
母は年金生活10年目。毎日のように外に出て、決してボケているわけでもなく、もちろん振り込め詐欺の手口だってテレビで見ています。でも、いろいろな偶然や思い込みが重なるとあっけなく騙されてしまうわけです。
幸い、行員さんが声をかけてくれたこと、振込先が詐欺に使われた形跡があって既に凍結されていたことなどなど、幸運もあって実害(200万!)にはあわず、笑い話で済みましたが、紙一重でした。


詳しいいきさつ(相当長文です。)を「続きを読む」に書き記しておきます。

続きを読む

理解に満ちた愛

コーディネーター業務の一つに『理解啓発事業』があります。教員・施設職員だったり、健常児の保護者だったり、地域住民だったり、様々な方々を対象に講座を開いたり個別にお話させていただいたりします。

障害のある子どもたちが地域で学び、暮らしていく土壌作りが目的なのですが、さすがにあからさまな差別は影を潜めたものの、未だにあちらこちらで突き当たる“壁”があります。

「頭では分かっているんだけど、生理的に受け入れられないのよ。差別はしないわ。でも、関わりたくないの。*1

本音の部分の偽らざる気持ち…というやつでしょうか。ただ、「知らない→わからない→怖い」という感情は、むやみに否定しても納得してはもらえません。

そういう人に私が紹介している言葉があります。



理解に満ちた愛(understanding love)



これはマザー・テレサノーベル平和賞授賞式でスピーチした時に使われた言葉です。
このスピーチは障害者だけを念頭に置いたものではなく、貧困に苦しむ人たちへの「愛」を語ったものです。しかし、『社会に望まれず、愛されず、顧みられていないと感じているすべての人々。社会の負担となって、皆から避けられている人々*2…彼らは同情や施しを望んでいるわけではありません。本当に辛く感じているのは無視されることなのです。』という言葉の背景を考えると、障害のある子どもたちへの理解にも通じるように感じています。

名もない私よりも、著名人の言葉のほうが説得力を持つから…と言うと身も蓋もありません。また、全ての人がマザー・テレサを肯定的に受け止めているわけではないので*3、万能の必殺技でもありませんが。

*1:「それが『差別』だ!」…というツッコミは今回横に置いておきます。

*2:あくまで“本人がそう感じている”という点を誤解してはいけないと思います。

*3:ちなみに親ダヌキは「マザー・テレサって偽善者だと思う。」とのたまっています。

校名変更

今年度、私の勤務校の名前が「○○養護学校」から「○○特別支援学校」に正式に変わりました。

校門の校名札を始めとして印鑑、封筒、名刺に至るまで作り直したり上書きしなければならないものがたくさんあって、事務室や管理職、教務主任は大忙しになっています。


そんな中、「さて、これはどうしよう?」と問題になっているのが校歌の歌詞です。
『げんきにまなぼう ぼくのわたしの ○○ようご〜♪』養護学校”を略して“ようご”、では“特別支援学校”を略すにはどう言えば良いのでしょう?Web上で調べてみると「○○特支学校」と略すケースが見受けられました。

特支免許状等への領域追加に関するQ&A
広島特支学校移転に異論

書類など、文字で表す場合ならば「特」「支」という漢字から何となくイメージすることも可能ですが、音声で「とくし」と言っても、果たして意味が通じるか甚だ疑問です。*1
「とくべつしえん」では、何となく納まりが悪いですし、略さずに「とくべつしえんがっこう」では歌のリズムに全く合いません。


“文化祭”である『○養祭』や“学校通信”のタイトル『○養だより』は『○特祭』『○特だより』になるのか、また、校章の中にある「養」の字を「特」に置き換えるのか…
些細なことですが、当事者にとっては結構重要な問題だったりします。

*1:ちなみに、これまで外部からの電話に出るときには「はい、○○養護です。」と応えていましたが、今は「○○特別支援学校です。」と略さずに校名を名乗っています。言い慣れない上に長いので結構苦労しています。