「モンスターペアレント」の本当の怖さ

最近モンスターペアレントの語が頻繁に使われだし、ますます学校へとお願い事をし辛くなりました。

昨日のエントリのid:serohanさんのコメントで、私の“モヤモヤ”が少しはっきりしました。
教師も保護者も人間ですから、すぐに分かり合える部分もあれば、どうにも分かり合えない部分があって当然です。でも分かり合えないながらも、せめてここまでは分かってもらおうと言葉を選んで話をしたり、互いに譲り合ってどこか“落としどころ”はないかと探ったり…。それが『大人の対応』だったと思います。
保護者からの指摘というのは、時として教員にとって辛いものになります。でも、それは一時的な「教員として」の辛さであり、その辛さは「教員として」資質を高めることになります。(これは私自身体験した紛れもない事実です。→Bくん、お休み - 特殊学級から養護学校、そして特別支援学校)そして最終的には子どもにとって良い方向につながるものです。
ところが、『モンスターペアレント』という言葉を使った瞬間に、『大人の対応』を最初からあきらめ、「教員としての」辛さから逃げてしまい、資質を高めるせっかくのチャンスを逃してしまうのではないか。そんな怖さを感じます。
とはいえ(私の見聞する範囲に限っては)10年前と比べても学校現場におけるストレス・プレッシャーはかなり増大しています。保護者からの指摘も、一線を越えて人格を否定するものが増えています。だから保護者と向き合うことをあきらめ、辛さから逃げ出したくなる教員の気持ちは否定できません。


マスコミが煽る「モンスターペアレント」という“風潮”に翻弄され、教員も保護者も言いたいことを気軽に言えなくなってしまっている状況、教員と保護者の間に感じてしまう『溝』に、私はモヤモヤしていたのかもしれません。