教育委員会不要論

大阪府知事の「クソ教育委員会」発言は論外ですが、最近いろいろなところで聞かれる『教育委員会不要論』に対して、私は基本的に反対の姿勢でいました。

しかし、今日の新聞報道で、ちょっと興味深い意見を見つけました。

「現行の教育委員会は要らない」。市長時代に教委の「不要論」を掲げた人がいる。NPO(特定非営利活動)法人「地方自立政策研究所」の穂坂邦夫理事長だ。
教育委員会の委員長は『座長』、教育長は『事務長』で、どちらも責任者の立場ではない。市長は教育行政の独立の建前から責任者になれない。素人の合議制の教育委員会が、責任を負うことができるのか?”
“穂坂氏の構想では、市長を総括責任者、教育長を責任者として明確化し、その下に20人程度の教育審議会をつくる。”
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081102/edc0811022215001-n1.htm
(→ウェブ魚拓

今の学校で何か事故・事件が起きたとき、学校の設置者として都道府県、市町村といった地方自治体の責任が問われた判例はありますが、実際に個人として責任を負うのは校長となるケースがほとんどであるという現実があります。また、市町村立である小中学校に勤務する校長・教員にとって、教育長(教育委員長ではない。)は『偉い人』であり、教育長の方針は管内の校長の学校経営にかなり影響を及ぼし、その結果として学級経営や授業に反映されることは少なくありません。*1
しかし、学校で何かあったときに教育長が責任を取ってくれることはありませんし、教員としても教育長が責任をとってくれるとは思っていないでしょう。教育委員長の責任など、意識にすら上がらないと思われます。なぜなら、現場の教員にとって「教育委員会」とは『教育委員会事務局』を指すからです。
そう考えると、教育委員会は監督すれども責任は負わず、極めて無責任な状態にあるという穂坂氏の指摘は一理あると言わざるを得ません。


教育行政において、本当の意味での『責任者』を定めるという意義・メリットには一目置く必要があるように思います。
ただ、穂坂氏の言わんとしているところは
「首長のオレが責任を取る。同時に、オレのやりかたでやる。」
ということなので、結局は某大阪府知事と同じことを言っているのですが…

*1:都道府県立の高等学校・特別支援学校になると、校長はともかく、教員にとってはその距離感から教育長は『縁遠い存在』という感覚がありますが…