理解に満ちた愛

コーディネーター業務の一つに『理解啓発事業』があります。教員・施設職員だったり、健常児の保護者だったり、地域住民だったり、様々な方々を対象に講座を開いたり個別にお話させていただいたりします。

障害のある子どもたちが地域で学び、暮らしていく土壌作りが目的なのですが、さすがにあからさまな差別は影を潜めたものの、未だにあちらこちらで突き当たる“壁”があります。

「頭では分かっているんだけど、生理的に受け入れられないのよ。差別はしないわ。でも、関わりたくないの。*1

本音の部分の偽らざる気持ち…というやつでしょうか。ただ、「知らない→わからない→怖い」という感情は、むやみに否定しても納得してはもらえません。

そういう人に私が紹介している言葉があります。



理解に満ちた愛(understanding love)



これはマザー・テレサノーベル平和賞授賞式でスピーチした時に使われた言葉です。
このスピーチは障害者だけを念頭に置いたものではなく、貧困に苦しむ人たちへの「愛」を語ったものです。しかし、『社会に望まれず、愛されず、顧みられていないと感じているすべての人々。社会の負担となって、皆から避けられている人々*2…彼らは同情や施しを望んでいるわけではありません。本当に辛く感じているのは無視されることなのです。』という言葉の背景を考えると、障害のある子どもたちへの理解にも通じるように感じています。

名もない私よりも、著名人の言葉のほうが説得力を持つから…と言うと身も蓋もありません。また、全ての人がマザー・テレサを肯定的に受け止めているわけではないので*3、万能の必殺技でもありませんが。

*1:「それが『差別』だ!」…というツッコミは今回横に置いておきます。

*2:あくまで“本人がそう感じている”という点を誤解してはいけないと思います。

*3:ちなみに親ダヌキは「マザー・テレサって偽善者だと思う。」とのたまっています。