JR福知山線脱線事故

新聞やテレビで「脱線した電車に乗り合わせていた運転士が、救助作業を行わずに勤務した」ことを、よってたかって非難しています。身内を失った遺族の方たちの、悔しい気持ちは理解できるのですが、果たしてそこまで非難されることなのでしょうか?
ちょっと冷静に考えると、勤務を命じた本部の判断はあながち間違いともいえないと思うのです。 2人の運転士が、そのまま事故現場に留まって救助作業に当たったとします。すると、2人が乗務する予定の電車について、代わりの運転手を手配しなければならないのですから、発車の遅れ、もしくは運休の恐れがあったことに、マスコミは気づいているのでしょうか?
例えば『尼崎で事故があったから、奈良行きの電車が遅れた。』『尼崎で事故があったから、和歌山行きの電車が運休した。』となれば「福知山線奈良線は関係あらへんやろ!!」とか「何で阪和線が運休するねん!!」必ずクレームが寄せられるでしょう。2人の運転士が乗務する電車は1本とは限りません。むしろ、何本もあったと考えるのが自然でしょう。そうすると、数千人から1万人近くの人たちに影響が出るわけです。その電車が遅れたために商談が破談になった*1…となれば、烈火のごとく怒り出す人がいたに違いありません。
一方、2人が現場に留まったとして、死者がどれほど減ったでしょうか?「あれほどの事故にもかかわらず、JRの社員が現場を立ち去ったのは許せない」という感情は理解できますが、冷静に作業効率を比較するならば、2人の運転士が予定通りの勤務に就いたのは正しい判断であったということはできないでしょうか?

*1:昔、大事故を起こした信楽鉄道では、実際にそういう話があったと記憶しています。