杉森津久美

日本テレビ スーパーテレビ「感動ドラマ“たったひとつのたからもの”6歳翼くんの旅立ち」を見ました。
正直な感想として、とてもつらかったです。ダウン症だとか、障害とかは別にして、言葉が十分に話せないほどの発達の遅れがある子どもが通常の学級に入ることが「良かった」とする編集意図がつらかったです。
私が携わっている特別支援教育が否定された屈辱感がありました。翼くんに罪はありませんが、母親の「挑戦」の陰に小学校の担当教諭たちがどれほど苦労しているのかがまったく触れられていなかったのが残念です。
校長は簡単に「他の子とまったく同じように(翼くんの)成長を見守って行きたい」とコメントしていましたが、本当に『他の子と同じように』というのであれば、実際に教室で彼に向き合わなければならない教諭には、これから相当な負担がかかるのです。
「(翼くんが)授業についていけないのは承知している」
母親の杉森津久美氏は、学校への手紙にこう書いてあったそうですが、この言葉が何を意味しているのか、彼女は本当にわかっているのでしょうか。
ダウン症に限って言えば、小学校低学年までは良いのです。発達の遅れは「割合」です。普通の子の能力そのものがまだあまり発達していない幼いころは、その遅れもまた小さくて済むのです。これが高学年、中学校へと進むにつれ、遅れはどんどん大きくなり、いよいよどうにもならなくなる…これが中学校特殊学級を担任してきた霞が直面している現実なのです。
「この生徒が小学校のうちに、ある程度のトレーニングを積んでいてくれれば…」
親の『挑戦』という名の現実逃避が、何年も経ってからその子の成長の妨げになっていくという、皮肉な結末をこれまで何件も見てきたのです。
杉森夫妻が、翼くんの出産直後に受けた精神的ショックには同情しますが、わが子をドラマに出演させるに飽き足らず、関連番組を2本作らせ*1、さらに本まで書いてしまう津久美氏のステージママぶりが鼻についたのは私だけでしょうか。

*1:ドラマ「たったひとつのたからもの」の放映直後にも“メイキングもの”があったように記憶しています。