「障害」の定義

「障害」…この言葉を使うことに強い抵抗感を持たれる方が、増えてきているように思われます。
「しょうがい」「障碍」のように字を書き換えたり、違う言葉に置き換えて表現するのを、よく見かけるようになりました。この「障害」という言葉の定義をちょっと調べてみました。

辞典における定義

1.さわり。さまたげ。じゃま。
広辞苑」第二版補訂版 1976.12

1.(−する)さまたげをすること。じゃまをすること。また、そのさまたげとなるもの。さわり。しょうげ。
日本国語大辞典」 1987.8

手もとにある辞典が古くて恐縮なのですが、「障害」という言葉を忌み嫌う人のイメージは、この『じゃま』とか『さまたげ』というあたりだろうと想像できます。

国際的な定義

ところで、この「障害」については、1980年にWHO(世界保健機関)が発行したICIDH(国際障害分類)で、次の3つの側面があると定義されています。*1

インペアメント(inpairment):体の一部の機能低下
ディサビリティ(disability):機能と行動の制約
ハンディキャップ(handicap):インペアメントあるいはディサビリティを持つ人と同年代の人と比べて不利な状況に置く、社会的、経済的及び文化的な状況
『「アジア太平洋障害者のための、インクルーシブでバリアフリーな、かつ人権に基づく社会に向けた行動のためのびわこミレニアム・フレームワーク」の実施に対するモニタリングに関する地域ワークショップ』での、全日本ろうあ連盟による仮訳から引用原文→http://www.worldenable.net/bmf2004/docworking1.htm

乱暴に解説すると、
「インペアメント」→脳内のシナプスが十分に発達・連携していない“器質的な状態”
「ディサビリティ」→記憶や判断が十分にできないという“個人的な状況”
「ハンディキャップ」→職業・収入面で損をしたり、不当な差別を受けたりする“社会的不利益”
この「ハンディキャップ」については、日本においては「ディサビリティ」と混同されていることが多いですね。「ディサビリティ」は眼鏡や補聴器等の補助具である程度補えるもの、「ハンディキャップ」はまわりの人たちの理解・援助によって克服できるものとも言えそうです。

日本における“公式な”定義

平成17年4月1日に施行された「障害者基本法」の第2条に『障害者』の定義があり、それが現在の日本における“公式な”定義となりそうです。

この法律において「障害者」とは、身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。

ICIDHでいうところの「ハンディキャップ」がある人が『障害者』であると言えそうです。

こんなところまで意識している特殊学級担任なんて、ごくごく少数派だと思います。でも、「ディサビリティ」と「ハンディキャップ」の違いはしっかり認識しておくべきなんじゃないかな…って思います。『障碍』『しょうがい』と書く人たちは「ハンディキャップ」を否定したいのかもしれません。それになにより、本人の力を伸ばしたり、まわりの理解・支援を促して、「ディサビリティ」があっても「ハンディキャップ」を伴わないようにするのが『特殊学級』の最終的な目的であり、使命なのですから。

*1:この定義もずいぶん古いものとなり、様々な見直しが行われているようです(参考:講座 WHO国際障害分類試案への批判と修正動向)が、霞の手もとに情報がありません。最新の情報と違っていたら、ごめんなさい。