“自分のため”も大切

肯定的な対応は、誰のためかっていうと実は(精神的な)自分の健康のためなんです。と、言い切ると変だな。 悪しき循環はそれは、問題それ事体をなんとかしようとすること。
そこで解決したい問題が解決しないから、「〜したい」という思いが重い方がストレスになってしまい、さらにそのストレスがどんなに形や行動と出なくても雰囲気として出てしまうことで、1対1の関係のみならずグループ全体の雰囲気が悪くなってしまうこと。
http://d.hatena.ne.jp/ngmkz/20070412/1176331318

“自分のため”…肩が軽くなると同時にちょっと複雑な心境になる視点です。
「職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。」という地方公務員法第35条*1じゃありませんが、教室での行動・思考は全て“子どものため”であって“自分のため”と考えることをタブー視してきた自分がいます。決してそれは間違いではなかったと思うけれど、その“呪縛”がためにいろいろと不具合が生じているのも確かなんです。特に昨年度はストレスのためにかなり苦労させられましたから…。

だけど、ぼくの認識の仕方一つで僕自身が良い状態になれば自然と仲間も良い状態や雰囲気になって行くし、利用者さんの出て来る話題も自然と良いところの話になるし、問題があったとしても解決に向けた話がしやすいんです。
「問題行動を無視」という部分や「肯定的対応」もそうだけど、一定の目的を共有しているグループの中での支援者の影響力の大きさを考えた場合、一番に大切するのは、その支援者自身の健康なのかもってぼくは考えています。

“自分のため”と考えたり行動することが、ひいては生徒さんの利益につながるのだ…と考えてもいいですか?そう考えられるならば、とても楽になるのですが。
…と、コメントでもよかったのですが、長文になるのでトラックバック

*1:ちなみに第34条が“守秘義務