“社会体験”≠“ボランティア”

もちろん、こちらの受け入れ態勢もしっかりしていなかったと思う。ただ、強制的にボランティアをさせられている人たちが、その現場に来て、どれくらい学ぶ意欲があるのだろうか、それが疑問。そんなことなら、率直に言って、家で家事の手伝いでもやっていたほうが、その高校生の勉強になるし、家族内の株も上がる。一石二鳥ではないか。
それ以前に、ボランティアをやって社会勉強をしようと提言している人たちに一言言っておきたい。受け入れる側の苦労を知ってる?もし、知っているのなら、せめて多少でもいいから費用を負担してくれ。こっちだってその時間の人件費もろもろかかっているんだから。
 ボランティアを受け入れる側の事情。 - Trans

 ボランティアを受け入れる現場というものが、なぜ「マナーや道徳がなってない人間」の教育係を引き受けなければならないのか、甚だ疑問。ボランティア活動に参加することで得るもの、というのは行動の結果に対してであり、その行動に関してのレディネスが整っていない人が教育的効果を得るために現場があるのではないと思う。あそこに行かせりゃ学ぶだろう、って、そんな簡単なものではないと思うし、そんなイメージで人間送り込まれたら、現場は迷惑だ。
 このエントリーで思ったことは、高齢者が対象であるから説得力があったのではないか、ということ。これが障害者の現場になったら、同じことを言っても、だから障害者は、とか、権利意識がどうだとか、そういう反論が出てくるように思う。でも、ボランティアを受け入れる現場としては同様のことが言えると思う。
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 昨年度まで中学校にいて、「社会体験」と称して地域の事業所(会社・店舗・施設等)に生徒たちを送り出していた身としては、耳が痛く、でも同意せざるを得ない意見だと思いました。
 中学生だと、高校生ほどあからさまにサボる輩は少ないのですが、全員が意欲満々で実習先に行っているとは言えません。確かに。
 ただ、学校という送り出す側の“言い訳”としては、「社会体験」を「ボランティア」とは位置づけていないということです。社会体験はあくまで受身の“学習”です。実際の職場に身を置き、そこで見聞・体験したことを基にして、自分の進路について考えるために、職場の方たちにいろいろと教えていただくという点で、相手方の要求に応えて自身の技能等を自発的に無償提供する「ボランティア」とは一線を画するものです。
 せめてもの償いではありませんが、生徒自身の「行ってみたい!やってみたい!」という希望にできるだけ沿って配置することで、受入事業所のみなさんが「なんでこんなやる気のない奴をよこしたんだ!」という不満を持たないように努めているつもりですが、前任校の例で言うと、300人近くの生徒を約100ヶ所の事業所(1ヶ所の受け入れは2〜5名程度)に振り分けるとなると、第3希望・第4希望という生徒も少なからず出てしまいます。
 とはいえ、受け入れる側の“事情”を前にして、この“言い訳”は無力です。本当に申し訳ないと思います。今年度、養護学校で“ボランティア実習”として多くの大学生を受け入れる側に立ち、改めてそう思いました。