いつまでがんばる?どこまでがんばらせる?

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カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 「チャレンジド」再考
 
カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 「がんばれ」って言わないで 「がんばらないで」と言わないで

…と、たどって行った先にあったのが「がんばる」というフレーズ。高等部に入学してくる生徒たちは、いろいろな場所で、いろいろな人に励まされ*1、ずーっとずーっとずーっとそれぞれのレベルで“ガンバって”きているわけです。
なぜって?
『自身の社会生活にかかわるスキルを高めることで、“社会的不利益*2”をできる限り少なくするため』
20年くらい前だったら、迷わずこう答えていたと思います。作業学習全盛で、中卒でもボチボチ正社員採用してもらえていた時代の話です。「就職できるように頑張れ!」まわりはそうそう助けちゃくれない。自分で何とか生きていかなきゃならないんだ。自分で給料を稼げれば“社会的不利益”のかなりの部分が軽減されるから、それまでがんばれ…わかりやすい『ゴール』でした。今はどうでしょう?
“サポート”“インクルージョン”“レスパイト”…「まわりが助けてあげるから、そんなに頑張らなくていいわよ。」社会は(建前では)そういってほほ笑むようになりました。一方、“生涯教育”といって、「学校を卒業してからも(それこそ死ぬまで)学び続けることがすばらしい!」という価値観が生まれました*3
…さて、困りました。教員は生徒たちにどこまで頑張らせればよいのでしょうか?生徒たちは何歳になるまで頑張ればよいのでしょうか?ペースが分からない、ゴールが見えない、そんな世の中で「Challenged」と言われても、どうしたものやら右往左往してしまいます。
10年前、ねむの木学園の運動会で「“Challenged”って、素晴らしい!」と挨拶していた宮城まり子氏は、今、どうお思いなんでしょうか…

*1:文字通り『尻を叩かれる』こともあったでしょうが…

*2:本来の意味での“handicap”

*3:文部科学省の提唱が、どこまで社会に浸透しているかはわかりませんですが…