妙な違和感・思わぬショック

今日は私的な勉強会に参加。昼からの『公式研修』に引き続き、日暮れから居酒屋で『本研修』…。

福祉施設や行政関係の人たちとの“異業種交流”で、毎回いろいろと面白い話が聞けるのですが、今回はちょっと妙な感覚に襲われました。
異業種ゆえにピンとこない話題のときもあるのですが、いつもならとりあえず『フムフム』と相槌を打ちながら「なるほど」「でもね」と会話のキャッチボールになるのに、今回に限ってはうまく話の流れに乗っていけないのです。20人ほどがワイワイガヤガヤしているのに、一人だけポツン…という感じ。「あれ?俺、どうしちゃったんだろう?」正直なところ、ちょっと焦りました。
でも、中ジョッキ1杯をあけるころには何度か会話に乗っかるチャンスもあって、それなりに話の中に入っていくことができるように。ところが、そこでもう一波ありました。
『利用者*1の成長・発達の可能性は無限ではない。理想と現実の狭間のどこで折り合いをつけるか、いつかは親に宣告しなければならない。』
気心の知れた施設職員Aさんが、そう発言したときのことです。なぜか仔ダヌキの顔が浮かび、そして奈落のそこに突き落とされる感じがしたのです。
Aさんの言ったことは決して間違っているわけではなく、障害者に関わる人100人に聞けば、100人が「そうだよね」とうなずくことでしょう。霞自身も何回となく保護者に話してきたことです。でも、なぜかショックを受けてしまいました。

うつ病の診断は出ているものの、そんなに心配するほどの状況ではないと思っていただけに、自分の様子に自分でびっくりしています。

*1:施設の職員が「障害者」を指すとき、こういう言い方をよくします。教員が「生徒」と言うようなものです。