特別支援学校の無力感

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090220-00000133-san-soci
(→ウェブ魚拓

記事の中に母親のコメントが載っていたのですが…
何ともいえない無力感に襲われています。

「息子は、総合支援学校に行っても歩いたり、話したりできるようになるわけではない。障害のある子も大人になれば地域社会で生きていく。幼いころから多くの友達と過ごすことで、人間関係の基盤ができていけば」

「健常児と一緒にいれば、障害児の社会性が伸びる」というのは、インクルージョンの『部分的理解』にすぎないのですが、確実に広まりつつある“世論”です。署名した1万人の考え方は、特別支援学校の存在意義を根底から否定するものです。

特別支援学校では“言語”の獲得が難しいくらい障害が重い子どもに対して、何かしら方法(指差し・サイン・コミュニケーションエイドの活用等)がないか模索・検討し、必要な練習・訓練に十分な時間をかけて取り組んでいます。また、歩行はもとより、姿勢保持が難しい段階の子どもに対しては、自立活動の指導を通して筋力強化・補助具の活用等に取り組み、8年かけて(歩行器を使いながらですが)歩けるようになったケースがあります。
いずれも、特別支援“学級”では様々な制約からなかなか取り組みにくく、特別支援“学校”だからできるのです。
…と反論することはできますが、この母親の心に響くことはないでしょう。

「障害児の教育って、何なんだろう?何が必要で、何を求められているんだろう?」
悶々と思い悩むばかりで、答えが見つかりそうにありません。