すぐに通らなくても…

 ある日、わたしは機会、という意味で油断し、髪を結んでいなかった。この子は会えばわたしに近寄ってくる。そしてそのときに彼の中で何かあったらしく、不意打ちのような感じでわたしは髪をつかまれた。つかんだ部分から引きむしられないようにわたしは彼の手を押さえ、助けを呼んで上手にその手を放してもらった。でも、ぶちぶちぶちっという音と共に、ばらばらと髪の毛が抜けて落ちた。
 この頃、まだマザコン的要素が強かった息子が、たまたまその場にいた。この子はばらばらと落ちたわたしの髪の毛を見て、「何をするんだ」とその子につかみかかった、今にも殴りそうな勢いで。
 「やめなさい!」と、わたしは声を上げて息子の動きを制する。息子は大きな裏切りにあったような顔でわたしを見て、大声で泣いた。
 「なぜあの子を誰も叱らない。おかあさんの髪の毛はこんなにこんなに抜けちゃったじゃないか!」
 黙って立ちつくすわたし。この子の言うことはまちがっちゃいない。でもね、でもね、怒っただけじゃ解決しないんだよ、あの子のこの行動は。全然通ってくれないんだよ、そのやめさせたいって要求が。
 親もわたしも周囲も、その全然通ってくれない。ということにいつか負けてしまっていたのかもしれない。すぐに通らなくても、やっぱり「やめて」「ダメだ」と、エネルギーを持って言い続けなくちゃならないんだ、そんなことを思った。
「差別」とその周辺 - S嬢 はてな

記事の論旨とは少しずれるのですが、この情景に感銘を受けました。
月曜日から教室で一緒に生活する子どもたちは、まさに“こちらの要求が通らない”子どもたち。だからこそ、ここに描かれている情景を胸に刻んで接していきたいと思いました。
いつもタメになるお話を書いてくれるSさまに感謝しつつ、トラックバック