教育実習生の研究授業

はしかの大流行の影響で、今年度は例年になくこの時期(後期)の実習生が多くなりました。彼ら・彼女らの実習期間も大詰め。研究授業を見せてもらった感想をいくつか…

発想の柔軟性

A先生の研究授業は「クリスマスリースを作ろう」という図画工作。リースの土台となる材料はワイヤーハンガーとチキンネットでした。デコレーションを差し込んで作るため、簡単・自由にそれらしいリースができるうえ、何度でもやり直しが可能です。子どものハンデを感じさせなくする素材の工夫に感心しました。
さらに、作る際に1mほどの紙筒(ロール模造紙の芯?)を垂直に机の前に固定し、そこにハンガーを掛けた状態でリースを作っていました。机の上で水平に作るのではなく、出来上がりと同じ垂直に作っていくため、子どもにとっては直感的にわかりやすい作業になります。その細かい配慮に脱帽です。

指導案の「目標」「評価」

どの指導案にも、単元・本時の授業について全体・個別の目標・評価が設定されています。
B先生の指導案では「音楽を聴きながら、作った作品を見ることができる」という目標・評価が挙げられていました。一方、C先生の指導案の目標は「一生懸命作業する」でした。少々ためらいがありましたが、C先生の研究協議会でこの点について指摘させてもらいました。
「“一生懸命作業した”かどうか、判断する基準は何ですか?」
特別支援学校・学級の授業では、意欲・関心に関する目標に重点が置かれがちです。「一生懸命できたね。えらいね。」とは、実際の授業でよく聞かれる言葉でもあります。
ただ、意欲・関心に関する目標・評価の落とし穴は極めて主観的になってしまうことです。チームティーチング(TT)での授業では、教員間で評価が分かれてしまうかもしれません。また、指導要録等で評価を引き継ごうにも到達度が曖昧なため、学年が進んでも同じ授業の繰り返しに陥る恐れがあります。

確かに、発達に遅れや偏りのある児童生徒は1時間の授業で技能・知識面で明らかな変容を期待できないかもしれません。でも、そういう子どもたちだからこそ、何かしら伸ばせるところはないかと探し出すのが特別支援学校・学級を担当する教員だというのが私の持論です。言い方を変えれば、ほんの些細なことでいい、たった一つでいいからその子どもに変容があれば、その授業は大成功だといってよいと思うのです。目標・評価の基本が「〜できる」という表現になるのは、そういう意味もこめられているはずなのです。
このあたりは教育実習生自身というよりも指導教員の責任と言えるでしょう。C先生の指導教員はそこに気づいていませんでした。教育実習の研究授業は、その先生の基本の基本を決める大切なものです。特別支援学校・学級の授業は、児童生徒の実態に応じてそれこそ無限のバリエーションが存在します。ただ、あくまで基本を踏まえたうえでのバリエーションでなければならないはずなのです。
私の発言で研究協議会の空気は凍りつき、実習生には申し訳ないことをしてしまいました*1が…。

*1:つくづく自分はモヒカン族だなぁ…と思い知らされます。