特別支援学級の呼び方とその舞台裏

チームティーチングの落とし穴 - S嬢 はてな
↑いろいろな意味で、私にとって素通りできないエントリです。用語等の解説と、私見を少々…

 養護教諭、つまり保健室の先生が過労で亡くなられた話なのかと思った。そうしたらこのお話、養護学校教諭、そして障害児学級担当教諭のお話でした。

教員間での“保健室の先生”の略称は『養教』、“養護学校教諭教員免許”の略称は『養学』なんですね。『養護教諭』は法令上の正式名称として“保健室の先生”を指すと定義されていますから、一部新聞報道等に見られる「障害児学級を担当する養護教諭」という言い方はありえません。

「養護学級」というのは単なる名称。この名称を使ってない自治体も多く、養護学級と聞いて意味がわからん保護者もいるんではないかと思う。

75条学級、いわゆる“障害児学級*1”を“養護学級”と呼ぶのは西日本、特に関西圏で多く見受けられ、東日本ではかなり稀です*2。昭和30年代、“特殊教育黎明期”の関東VS関西の構図が現れている一例といえます。東日本では“特学”と呼ぶところが多いのですが、東京では『心障』、神奈川では最近『個別』と呼ぶ人が増えているのだとか。
その他では『複式*3』『促進*4』と呼ぶところもあります。

障害児の教育に関しては、たいがいチームで行われる。このときに、教員同士のパワーゲームが起きる可能性があるんだろうということ。

え〜、この点については…はっきり言ってあります。それもかなりの確率で。
実は、このブログが一時閉鎖せざるを得なくなったのは、そのあたりを具体的に書き過ぎてしまったからなので、あまり踏み込んで書くわけにもいかないのですが…思い切って舞台裏を書きましょう。
小中学校の障害児学級であれば、担当する児童生徒や授業や仕事の分担が比較的はっきりしていて、「その部分はあなたにお任せ」という雰囲気があります。そのため、チームを組んだ先生とウマが合わない*5状況でも、とりあえずは“自分のフィールド”が確保されるので、気持ちの面で致命的に追い込まれることは少なく、言い換えれば「仕事は仕事」と割り切ってウマの合わない相手ともやっていくことができるのです。
ところが、同じ“特別支援教育”の現場なのに特別支援学校となると状況は一変します。児童生徒への指導方針を始めとしてあらゆる仕事はチームを組む全員との“合議”が前提であり、“共通理解”が求められます。つまり“自分のやりたいようにできる”ことが極めて少なくなるのです。『俺はこうしたいのに』と悶々としながらも、“合議”“共通理解”という壁の前に思うように行かず、逃げ場のない状況が生まれるというわけです。
特別支援学校は教員=大人の数が多く、それだけ多様な価値観がぶつかり合うことになります。加えて、児童生徒の実態に基づいて教育内容を組み立てていくという特別支援教育の大前提も、価値観のぶつかり合いを増長する一因になっています。「□□のような子どもには○○のように指導すべきだ」とある教員が主張しても、指導の系統性が確立されていない現状ではその主張は一つの主観に過ぎず、異論を持つものにとってはストレスとなり得るということです。
現任校でも前任校でも、人間関係のトラブル等精神的な理由から休職・退職した先生方がいます。ただ、あくまで私が見聞した範囲内ですが、そういう先生方は総じて“大人相手の人間関係”に悩んでいたのです。もちろん、子ども相手の問題で悩むことだって少なくありません。でも、致命傷になるのは大人が相手の人間関係だと私は思っています。

*1:現行学校教育法では「特別支援学級

*2:手元に統計はありませんが、『養護学級』でググれば一目瞭然です。

*3:これも正確に言うと誤用なのですが、障害児学級のほとんどが複数の学年の児童生徒が所属する、本来の意味の「複式学級」であることから来ているようです。

*4:昔、学力の振るわない子どもたちを対象として“学力促進”を目的とする学級があり、“障害児学級”とは別ものながら、『複式学級』と同様の理由から誤用されたようです。

*5:理屈じゃなく、生理的にダメ、というのことは往々にしてあるのです。