赤と茶色が…

△△先生から、相談が持ちかけられました。
「A君なんですけど、ぬり絵をしていて、赤と茶色をよく間違えるんです。緑を見て『あか!』って言うこともあるし…。ピーマンなんかは、迷わず緑色に塗るんですけど…」
ふだんからいろいろと細かいところまで目を配っていた△△先生だからこそ、気づくことができたポイントでした。
しばらくA君の様子を観察してみたところ、先天色覚以上の一つである「赤緑色弱」の特徴と重なるところがありました。日本人の男性の5%は色覚異常だというレポートもあるくらいですから(根拠→目と健康シリーズ|三和化学研究所)、ビックリする必要はないのですが、さぁ、これからA君にどういう内容の指導をしていこうか…。先天性の色覚異常には治療法がありません。(根拠→目と健康シリーズ|三和化学研究所)つまり、異常そのものをトレーニングで軽減・改善できないということです。
ここで私が考えたのは『色が見分けられないことで生じる社会的不利*1』です。具体的な例としては『信号機の色が分からないので道路を横断できない』などが挙げられます。
保健室の先生に相談してみましたが、「今は学校で色覚検査をしないからねぇ。…ちょっと待ってね。」ゴソゴソ…。ロッカーの奥のほうから1冊の本を取り出してくれました。
『医学博士 石原忍考案 学校用色覚異常検査表』(厚生省承認番号 東薬639号 昭和62年 半田屋商店発行 ISBNなし)
30歳以上の人なら見覚えのある本です。その中の「色覚異常解説」に、こんな一節がありました。

 しかし色誤認は成長するにつれて減少する。強度異常者でも小学校高学年や中学生になると、図画の使用色に違和感を持たれることはほとんどない。これは色覚そのものに変化がなくても、明度・彩度あるいは物体の形状等を手がかりに、色識別能力が向上するためである。

“物体の形状”…A君の指導のポイントはここだと思いました。つまり「葉っぱは緑」「ニンジンは赤」そんなデータベースを増やしてあげればいいのではないか…と仮説を立てました。だって「ピーマンは緑」って分かっているから、迷わず塗れるのですから。
 また、こんな一節もありました。少し長くなりますが、引用します。

 色覚検査は異常者にとっては常に苦痛である。この苦痛は検査をする側の意識と配慮によって、増大することも軽減されることもある。
 彼らの最大の苦痛は、教師の無思慮な言動である。色覚検査の後に興味本位な質問をしたり、級友の前でさげすむような態度をとることは、色覚異常の児童の心に拭い難い傷を与える。他の身体的な異常では考えられないことであるが、色覚以上の場合だけは、このような経験を負わされる児童は決して少なくない。また検査時の問題ではないが、図面の使用色等の誤りを不用意に皆の前で注意したり、不真面目だと決めつけることも、絶対に避けなければならないことである。
 次に問題になるのは、同級生の好奇の目である。身長・体重と同様に一列にならんで検査をすれば、異常であることはクラス中に知れわたる。色覚検査表は異常者側から言えば、日常の環境では決しておこらない酷な条件で作られているが、正常者には苦もなく読める。“こんな簡単なものが読めないのだから、色盲という言葉通り色がまったく分からないのだろう”子供である同級生がこう思うのはむしろ当然で、心ない言葉を投げかけられたり、いじめの対象となるという結果を招く。これを防ぐためには、個室で一人一人検査をするという配慮が必要である。

肝に銘じたい言葉です。

*1:「ハンディキャップ(handicap)」って、厳密に訳すと“社会的不利益”なんですってね。本来の意味の「障害」は「インペアメント(impairment)」なんだそうな。